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銀行の歴史

銀行の歴史 画像 世界で最初の銀行は、12世紀頃、当時世界の貿易や文化の中心地であった北イタリアに発生した両替商が始まりだそうです。現在のような近代的な銀行が生まれたのは、17世紀ヨーロッパ。1694年にイギリスでつくられた「イングランド銀行」。

日本で最初に開業した銀行は、第一国立銀行(旧第一勧業銀行。平成14年4月1日よりみずほ銀行とみずほコーポレート銀行に再編)で、明治6年 7月20日 に現在のみずほ銀行兜町支店の位置に開業しました。
また、銀行の称号を使用した最初の私立銀行は、明治9年3月31日に設立された旧三井銀行で、現・三井住友銀行日本橋支店の位置に開業(同年 7月1日)しました。

そもそも「銀行」という名前の由来は、明治5年制定の「国立銀行条例」の典拠となった米国の国立銀行法(「National Bank Act」)の「Bank」を「銀行」と翻訳した事に始まります。
翻訳に当たり、高名な学者達が協議を重ね、お金(金銀)を扱う店との発想から中国語で 「店」を意味する「行」を用い、「金行」あるいは「銀行」という案が有力になりましたが、結局語呂のよい「銀行」の採用が決まったといわれています。この他に、渋沢栄一が考案したとする説等、いくつかの説があるそうです。

「Bank」の語源は、12世紀頃、当時世界の貿易、文化の中心地であった北イタリアに生まれた両替商(銀行の原型といわれています)が、両替の為に使用した「BANCO」(長机、腰掛)とする説があります。

※参考文献 日本銀行HP「教えて!にちぎん」

FXトレーダーの常識!? 円相場の歴史

円相場の歴史 画像 私たちの住む日本で使われている通貨は「円」です。
しかし海外に行けばその国の通貨を使いますので、円を他の通貨と交換しなくてはいけません。この2つの通貨を取引して交換する事を「外国為替」と呼びます。
この仕組みを利用した外国為替証拠金取引を英語では「Foreign Exchange」つまりこれがFXです。
お小遣い稼ぎ感覚で、FXをしている方は多いと思いますが、トレーダーにとって、円相場の動きは気になるもの。
ここではその円と、円相場の歴史を簡単にご紹介致します。

まず日本円がいつから使われているのかという事ですが、1871年に「新貨条例」というものが交付されて、それまで使われていた「両」に代わって「円」が次の通貨となりました。これが日本円の誕生となりました。今から140年程前の出来事です。

それより前の江戸時代には、「両」「分」「文」といった単位が使われていました。硬貨の種類としては、江戸幕府が発行していた金貨(小判等)・銀貨(丁銀、豆板銀等)・銅貨(1文銭等)がありましたが、その他全国各地の大名は自分の藩だけで通用する「藩札」という紙幣も発行していました。さらに幕末時代になると外国製の銀貨が大量に流入した為、明治の初頭には日本のお金の制度は大変混乱してしまいました。

そこで明治政府は、日本全国で利用出来る統一したお金の制度作りを始め、1871年に「円・銭・厘」という新しい単位が決定。新硬貨の使用がスタートしたのです。
なぜ「円」という呼び名が選ばれたのかというと、理由にはいくつか説があるそうですが、当時中国で使用されていた銀の鋳造貨幣「銀円」がその名前と共に日本に入ってきたため、日本もこれに倣い、「円」とつけたのだそうです。

■関東大震災~第2次世界大戦

1918年に第1次世界大戦が終了、その2年後に不況が訪れ、更に1923年の関東大震災によって円は急激に下落。関東大震災の直前の1ドル=2円4銭から、1924年には2円63銭の円安となります。

現実には円安であるにも拘らず、当時の浜口雄幸首相と井上準之助蔵相は、旧平価に近い水準で金を解禁します。
マーケットを無視した旧平価での金解禁は、大幅な物価の切下げを強いる事になり、企業収益が悪化、企業倒産や失業者が増大し、ついには昭和恐慌が起き、軍部が政治に介入する事態を招きました。
1931年イギリスが金本位制を停止。日本も金本位制から離脱し、銀行券の金への兌換も停止。これにより一気に物価が上昇し、ドル / 円相場は1ドル=5円の大幅な円安となりました。

■第2次世界大戦後

1949年、IMFを中心とした国際通貨体制「ブレトンウッズ体制」により1ドルは360円という固定相場制になります。
これは「IMFが中心」とはなっていますが、実際には戦勝国であるアメリカが決めたようなものだったそうです。
第二次世界大戦前は1ドルが3円程だったそうなので、日本円の価値が100分の1以下まで落ちた事になります。

360円という値は結果的に日本にとっては好都合に動き、高度成長に合わせて貿易収支も黒字化。しかしそこに待っていたのはドル不安による「ニクソンショック(1971年)」でした。

ニクソンショックによりブレトンウッズ体制は崩壊、1971年12月18日にG10蔵相会議が開かれ(スミソニアン協定)、日本円は1ドル=360円から、1ドル=308円へと、一気に16.88%もの切り上げ(ドルの価値が下がる)を余儀なくされました。
しかし、それでもドルの信頼失墜は止まらず、1973年2月に変動相場制へと移行した後は1ドル=260円台まで円高ドル安が進みました。

■オイルショック~プラザ合意

1973年10月6日、イスラエルと中東アラブ諸国との間に第四次中東戦争が勃発し、中東諸国は原油価格の値上げ、生産量削減、米国等イスラエル支持国への石油禁輸といった対抗策を、相次いで決定。
日本はインフレ抑制のため高金利政策をとりましたが、インフレによる円の価値下落の方が大きく、為替は1ドル=300円程度の円安になって安定しました。
しかし、オイルショックの動揺が収まり、日本経済が回復していくと、為替相場も急激に円高に動き始め、1978年末頃には一時1ドル=180円を突破して、一時的な円高のピークを迎えました。

プラザ合意とは、米、日、独、仏、英5カ国蔵相がニュー・ヨークのプラザ・ホテルで、当時問題となっていた米ドル高を是正するために協調介入する旨の声明を出した事を指します。プラザ合意の直後から円は急激に高くなり、プラザ合意前には240円程度だったレートが1年で150円台まで高くなりました。
日本では急速な円高が進行し、円高不況の発生が懸念された為に低金利政策が採用・継続されました。この低金利政策が、不動産や株式への投機を加速させ、バブル景気をもたらします。

■バブル崩壊後

1994年に1ドル100円を切り、翌年の1995年には1ドル79.75円という最高値をつけます。その後も日本国内ではバブル崩壊後の傷みが次々に表面化し、銀行や証券会社といった金融の根幹が揺らぎました。
実態とかけ離れた円高は是正が進みましたが、この動きもまた急激であり、円高のピークから3年余りの1998年中頃には1ドル=140円を超えるまでの円安となりました。

■デフレと円高

1999年から日本は年率でマイナス1%を超えるデフレに突入しました。
これはインフレの逆ですから、物の値段が下がり、お金の価値が上がる事を意味します。

一時期は1ドル=100円近くまで値上がりしていた円ですが、2007年の夏には1ドル=120円を超える円安となりました。
2007年夏にサブプライムローン問題が発覚して以降、リーマンショック、ドバイショック、ギリシャ金融危機等、一国を揺るがす大事件が次々に起こり、その連鎖は現在進行中のようです。

その間、低成長ながらも安定しているとして、消去法で日本円が買われ、2009年以降は1ドル=80円程度の取引さえ普通といった状態に陥りました。

■東日本大震災後

保険会社が支払準備として海外資産を円転させるとの観測や、決済のための円資金需要が強まった事等から円高が急激に進み、3月16日には一時1ドル=79.75円台を記録し、1995年の史上最高値に並び、17日の東京外国為替市場では瞬間76円25銭をつけて最高値を更新。

その後、日米欧の協調介入により80円台まで値を戻すも、震災後の日本経済への不安と、アメリカの景気回復に対する期待により、円を得る動向が優勢となり、4月6日には半年ぶりとなる1ドル85円台に。その翌週から再び円高傾向となり、現在に至っています。

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